内蔵助平・ハシゴ谷乗越から真砂平(北アルプス・剱岳/8月上旬)偵察山行 |
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2014年夏山行第二弾は、熊の岩ベースでチンネ左稜線に挑戦する計画を立てていました(予備日を含め3泊4日)。ところが、何とか北陸も梅雨明けしてくれたものの、台風の接近で天気は不安定、結局、アタック日は、未明から雨で、熊の岩で敗退となりました。→チンネ左稜線(2014年9月)
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この山行メモは、入・下山で歩いた、黒四ダム〜真砂沢ロッジの登山道に関するものです。 |
なお、当該登山道は、今では、専ら八ッ峰方面、仙人池・池の平方面(北方稜線縦走)の単なるアプローチ道という位置付けですが、内蔵助平〜真砂沢出合の部分は、近代登山の黎明期から、黒部別山登頂の際利用されていた歴史のある道のようです。 |
ここを歩くのは13年ぶり、大分記憶が薄れており、ちゃんと記録にしたこともなかったので、後日再訪するときの覚書として残しておくことにしました。 |
確かに重荷だとちょっと辛いものの(今回はkn19kg,mon15kg)、長野側から入山する人にとって、何といっても財布に優しいのは嬉しい限り(扇沢〜黒部ダムのアルペンルート運賃は、扇沢〜室堂のものの1/3以下)。
また、下山時、黒部ダムまで自分の足で歩いて行けるので、最終のトロリーバスに乗り遅れても、その軌道を歩いて扇沢へ抜けることも可能(1時間半くらい)。室堂からの最終アルペンルートに間に合いそうにないとき等、まだまだ利用価値のある道だと思います(悪天時は避けた方が無難)。 |
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黒部ダム〜内蔵助谷出合〜内蔵助平〜ハシゴ谷乗越〜真砂平 |
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(左)黒部ダム駅の出口(下の廊下、内蔵助平方面)改札を出ずそのままホームを進行方向へ歩く(表示あり)。〜帰りの画像 |
(右)出口を背にして右の作業道を歩く。出口に道標等がないので初めてだと戸惑うところ。ジグザグの作業道から急な登山道を下る。 |
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(左)急な登山道を下る。作業小屋が現れると、黒部川はすぐ。 |
(右)黒部川の橋を渡り左岸のへつり道へ。 |
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(中)内蔵助谷出合との分岐。黒部川左岸道(高巻道)は、ここから、道なりに進むと(↑)、そのまま内蔵助谷右岸道となる。右手の川原へ下りる道は(↑)、眼下の内蔵助谷出合を経て、黒部川左岸道(下の廊下方面)となる。つまり、内蔵助平方面の登山道は、内蔵助谷出合を通らない。 |
分岐には、内蔵助平方面の案内板(左)と下の廊下方面の案内板(右)がある。 |
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(左)内蔵助谷出合との分岐から内蔵助谷右岸道を数分で「黒四ダムの観光放流」に関する説明書きが現れる。背後は広い平坦地、関西電力の管理地なので、利用は緊急時に限られそうだが、下の廊下や内蔵助平方面からの帰りで、最終のトロリーバスに間に合いそうにないときは、快適なテン場となりそう。水は内蔵助谷から容易に得られる(「分岐」から下の廊下方面へ下りる)。丸山東壁のベースにもよさそう? |
(右)内蔵助谷右岸道を暫く登ると、樹林が切れ、400mものスケールを擁する黒部の巨人「丸山東壁」を望むことが出来る。 |
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(難所)崖状のトラバース。内蔵助谷右岸道の標高1450m付近には、ちょっと長い崖状のトラバースがあった(以前はこんな悪い箇所はなかったような)。フィックスロープが付いているが崩れやすく、雨天時や降雨後のぬかるんでいるときは、スリップしないよう注意が必要。 |
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(左)難所の先は、一跨ぎで渉れるような小沢がいくつか入る。重荷だと疲れが出てくる頃だし、内蔵助平の鉄橋(右画像)まで、まだ30分以上かかるので、休憩がてら冷たい水で喉を潤した。 |
(右)内蔵助平の鉄橋(下山時の画像)。この橋は内蔵助谷左俣に架かるものでハシゴ谷乗越方面へ向かうときは、画像とは反対に左岸へ渡る。橋が渡れないほど増水することがあり、過去に死亡事故も起こっているそうだ。
内蔵助平は、この内蔵助谷左俣と、30分程先で登山道が出合う同右俣(涸れ沢)に挟まれた逆三角形のエリアのこと。水場は左俣、右俣の水流(右俣も×印のある下流には水流がある)。 |
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(左)真砂岳と真砂沢方面との分岐。左俣の橋から10分足らずでこの分岐。近くにはいくつかビバークサイトがあった。 |
(右)内蔵助谷右俣。ハシゴ谷乗越へは涸れ沢となった右俣を登る。内蔵助平で水の補給が出来るのはここが最後。給水の序に昼食休憩とした。 |
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(左)段差のある涸れ沢の登りが30分強続き、途中から右岸側を一登りでハシゴ谷乗越。 |
(右)下山時の画像。この涸れ沢は、膝の弱いknifeidgeには、いつも下りの方が辛く感じる。 |
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ハシゴ谷乗越(*だんのっこし)。
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真砂尾根と黒部別山西尾根の鞍部にある(2035m)。
剣沢右岸側の支流「ハシゴ谷」源頭部に相当する鞍部(コル=乗越) |
周囲を見渡しても明瞭な鞍部という感じがなく、古びた道標がなければ、うっかり通り過ぎてしまいそうな所。真砂沢方面は北西方のなだらかな尾根道(ハシゴ谷の右岸尾根)となっていた。
*富山県の方言で、谷を「たん」「だん」と読むようだ。
→長次郎谷(ちょうじろうたん)、中ノ谷(なかのだん) |
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「ハシゴ谷乗越」の名称の由来で、良く見聞きするのが、「真砂沢出合〜ハシゴ谷乗越の登山道の上部にいくつも梯子があるので、この名がついた」というものである。
確かに、真砂沢ロッジからここへ至る登山道には上部にいくつもの丸木梯子があり、それを登り終えたら、このコルだから、説得力がある。ただ、それなら「ハシゴ段」でなく、どうして「ハシゴ谷」と表記されるのか?
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そもそも、乗越(のっこし)とは、尾根に着目した時の鞍部(col)をいい、コルは通常沢の源頭に当たる。とすれば、「ハシゴ谷乗越」と表記するなら、「ハシゴ谷」の源頭に当たるコルと考えるのが自然である。では、「ハシゴ谷」とはどの沢を指すのか?
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(左)なだらかな尾根道から急坂を数連の丸木梯子で下降。ただ、この梯子は谷ではなく尾根上にある(後述の「ハシゴ谷」の右岸尾根)。
(右)ハシゴが終わると、フィックスロープの付いた急な泥壁の下降。真砂沢出合から登って来る時は、ハシゴ谷を横断して、その右岸尾根へ取付く箇所に相当。雨でぬかるんでいると良く滑る。
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市販の地図やネット検索では「ハシゴ谷乗越」の記述はあっても、「ハシゴ谷」という沢に関するものはなかなか見つからない。
「ハシゴ谷」という名称の沢が存在するのであれば、それは、コルの南東の内蔵助谷右俣か、剣沢と出合う北西方の沢のいずれかと思われる。
まず、内蔵助平谷右俣は、現在の登山道がこれに沿っており、前述の通り、梯子段を登降するように段差のある涸れ沢。他方、コルの北西方(剣沢側)の沢は、真砂沢出合方面からの登山道が中間部で当該沢を横断するものの、基本的にその両岸の尾根を通っており(件の梯子はその右岸尾根上にある)、ほとんど馴染みがない。それで、いつの間に、前者の方を「ハシゴ谷」と信じるようになっていた。
ところが、今回の山行の後、古い文献(『現代登山全集3剣立山黒部,東京創元社、昭和36年発行』)を読み返して、後者の沢が「ハシゴ谷」であることを知った。
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沼井鉄太郎氏(日本山岳会会員)の記録『黒部別山と内蔵ノ助平』より引用 |
剣の三窓から下った次の日(大正10年7月22日)、私たちは剣沢の岩小舎附近から沢の右岸を上に向かって30分程歩き、山岳会編の剣岳登山地図にハシゴ坂と記してある所の沢(後聞するにこれは梯子谷と言う由)から黒部別山2005メートルの鞍部へ登って行った。<中略>
沢の入口から富士の折立、別山とその間のカールが真砂沢の雪渓を通して眺められる。この沢は丁度剣の八峰が剣沢に面してぐっと膝を折り、乱坑歯のようなピークの陰から屈折した、急峻な狭い雪渓を下ろしているちょうど向かいにある。 |
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ハシゴ谷乗越の先の展望台やその下のハシゴ谷(無雪期はガレ沢)を横断する箇所からは間近に八ッ峰下部を望むことが出来る(画像は後者から撮ったもの)。正面の急峻な雪渓は三ノ沢。前掲引用部分で、『乱坑歯のようなピークの陰から屈折した、急峻な狭い雪渓を下ろしている』と記されている風景である。 |
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涸れ沢となったハシゴ谷を横断する。左画像が往路のもので、左岸尾根の中に真砂沢出合への登山道が続いている。他方、右画像は復路のもので、行く手の右岸尾根に、ハシゴ谷乗越へ至る道がある。
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左岸尾根の登山道から下部はハシゴ谷に絡みながら下る(左は復路の画像)。ほとんどは伏流しているが、一箇所水場がある。 |
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二股へ直接行くには、この道標があるところから、ロープが張ってある沢型(ハシゴ谷)を下る(左画像)。 |
真砂沢ロッジへは、道標から剣沢右岸沿いの高巻道を10分強歩き、三ノ沢出合(剣沢左岸)の対岸付近から剣沢へ下る(右画像は剣沢へ下りるところ)。 |
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(左)真砂沢ロッジを目指し、剣沢(南股)雪渓を渡る。 |
(右)剣沢左岸沿いの登山道を10分ほど歩くと、真砂沢出合の対岸にある台地(真砂平)に建つ真砂沢ロッジに出る。 |
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【山行日】
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往路(黒部ダム→真砂沢ロッジ)2014年8月2日
復路(真砂沢ロッジ→黒部ダム)2014年8月5日 |
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[黒部ダム〜真砂沢] |
黒部ダム<-1時間25分/1時間->内蔵助谷出合<-2時間5分/2時間9分->内蔵助平(鉄橋)<-1時間37分/1時間40分+昼食等大休止50分->ハシゴ谷乗越<-1時間50分/1時間34分->真砂沢ロッジ(真砂平)
*コースタイムは休憩等を含む実績。 |
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