ウェストンの足跡を訪ねて
針ノ木雪渓から針ノ木峠
針ノ木岳・蓮華岳
(北アルプス2010.6/6(日)〜7(月))
前夜発1泊2日(針ノ木峠幕営)

その1針ノ木雪渓から針ノ木峠峠
 ご注意!!当ページは針ノ木小屋のホームページではありません。
 当ページを針ノ木小屋公式ページとして、リンクしているサイトがありました。この記録は、『山の手帳』のコンテンツです針ノ木小屋公式ページではありません。
その2へ
その3へ
 
 雪山ハイク ウェストンの足跡を訪ねて 
 山の手帳  山の手帳別冊
針ノ木峠からの展望
 遠景は八ヶ岳・富士山・南アルプス   前穂高岳・奥穂高岳・槍ヶ岳、奥左端は大天井岳
【はじめに】
 扇沢(1433m)から大沢小屋を経て針ノ木雪渓を登り、針ノ木峠(2541m)をベースにして針ノ木岳(2821m)と蓮華岳(2799m)を往復してきました(針ノ木峠幕営1泊2日)。
ウェストンは「佐々成政のザラ越え(旧立山温泉〜ザラ峠〜黒部川〜針ノ木谷〜針ノ木峠〜籠川)」コースを往復しており(復路1893年、往路1914年)、針ノ木峠を2度訪れています。
 「ザラ越え」を1度で歩くのは私たちには日程的にも技術・体力的にもなかなか困難なので(針ノ木沢沿いの道が荒れている、ザラ峠〜旧立山温泉が廃道)、とりあえず今回は針ノ木雪渓を登って針ノ木峠まで(籠川〜針ノ木峠)トレースしようと計画した次第。
なお、ウェストンは針ノ木岳には登っていないようですが、元々気になっていた山ですし針ノ木峠までの往復だけではもったいないので併せて登ることにしました。
 ザラ峠・針ノ木峠越えのルートイメージと今回の山行の位置付け
ウェストン(1) 1893年08月 J→@ 
ウェストン(2) 1913年08月 @→J
 山の手帳(1)  2010年06月 J→I+I→J
 山の手帳(2)  2011年11月 @→C(A除く)+E→F
 山の手帳(3)  2013年08月 J→F
 山の手帳(4)  2014年07月 F→C
 

【山行記録】
6/6(日)曇りのち晴れ
1.扇沢〜針ノ木峠
(1)扇沢まで
 自宅(横浜)を5日の21時ころ出発。4時間ほどで扇沢に着いたときには駐車場は20台ほどの車があった。今回の行程(針ノ木峠から針ノ木岳・蓮華岳往復)は日帰りも可能なコースだが、1泊2日で計画したのでいつもよりゆっくり眠れそうだ。

 バタバタと車のドアを閉める音で目が覚める。もう6時前ですっかり明るくなっておりほとんどの山スキーヤーは出かけたようだった。
軽く朝食を摂ってターミナルのトイレに行ってみると、この日は慎太郎祭(開山祭・注)のせいかまだ夏山シーズンでもないのに軽装のハイカーが大勢集まっていた。

(注)針ノ木峠を開拓、大沢小屋・針ノ木小屋を創設した百瀬慎太郎を偲んで毎年6月の第一日曜日に開催される開山祭。雪渓上の広場での祭典の後、針ノ木峠までの記念登山が実施される。

登山口(扇沢)周辺

(2)登山口〜大沢小屋
 針ノ木岳登山口は扇沢の車止めゲート(先は関電工事車両道)の左脇にあり、登山カードのポストが設置してある。私たちが出発する頃には開山祭に参加するハイカーがバスに乗り込んでいるところだった(この日は参加者は後述の籠川降り口まで送迎がある)。

 登山口(扇沢)からしばらくは関電工事車両道をショートカットするように道があり何度か車道にでる箇所がある。エアリアでは大沢小屋まで籠川左岸側を高巻くようになっているが(針ノ木自然歩道・夏道)、残雪の多いこの時期は小屋より下から籠川沿いを歩く(針ノ木小屋のHPのガイドマップで作業道と表示されている)。

 籠川へは確か2度目に車道に出たところから左に入る小径を辿る。表示がなく知らないとわかりにくいと思われるが、この日は慎太郎祭の横断幕が掛かっており案内の人も立っていたので助かった(慎太郎祭の日を狙って計画したのは正解)。

針ノ木自然歩道〜籠川
 籠川に下りると一旦橋を右岸へ渡る、雪上を歩くようになり最初の堰堤は右岸から越え、次の堰堤は手前の雪渓を左岸に渡り返して越え少し雪道を歩くと大沢小屋に出た。

大沢小屋は中も外も開山祭の人達で満杯状態、ここは素通りして少し先の雪渓尻で休憩(ここでアイゼン装着した)。

籠川〜大沢小屋
針ノ木雪渓下部
(中)慎太郎祭祭典広場

(3)針ノ木雪渓
 この先針ノ木峠までずっと針ノ木雪渓の登りとなる。まだシュルントもほとんど開いておらず、雪崩も落ち尽くしたようで安定している様子。
ストックと軽アイゼンといった井出達のハイカーが列を作って登っており、中には犬を連れた人やスニーカーにショルダーバックという男女もいてびっくり。私達のようにピッケル・アイゼン(前爪あり)という人は少数だった(ロープを持っている人はおそらく皆無)。

 針ノ木雪渓の下部は緩やかで慎太郎祭の祭展会場となっていた雪渓広場までは、それこそストックがあれば十分という感じ。行く手正面には針ノ木岳の岩峰が覗いており振り返ると爺ヶ岳(南峰)がピラミダルな姿を現していた。

 雪渓広場の先は次第に両岸が狭くなり傾斜が急になる。通称「ノド」と呼ばれるところ、既に雪が軟らかくなっておりしっかりしたつぼ足トレイルもあるので登っているとあまり感じないが、振り返ると部分的には35度くらいありそうな急斜面だった。

 一旦傾斜が緩み二俣となる(ヤマクボ沢出合)。雪崩の多いところで小規模なデブリや雪渓中央には大岩が転がっている。雪渓が安定したこの時期なら問題なさそうだがさすがに落石の上に腰掛ける気はせず右岸寄りの何もないところで小休止。

 出合からは、多くの山スキーヤーが目指す右俣(ヤマクボ沢)と別れ、われわれハイカーは左俣を登って針ノ木峠へ。左俣(針ノ木雪渓)はヤマクボ沢ほどではないにしても、先のノド以上に急だった(最大40度くらいか)。

針ノ木雪渓上部
岩小屋沢岳と爺ヶ岳  ノドの登り ヤマクボ沢出合付近
右がヤマクボ沢でスキーヤーはこちらを登る
ヤマクボ沢出合付近
針ノ木峠は左の針ノ木雪渓を登る
 鳴沢岳・岩小屋沢岳 針ノ木峠直下は急登
                                  

 涼しかった雪渓歩きも10時を回ると真夏のような日差しとなって暑い。
峠直下の急登はやはり辛く、完全にペースダウンした妻は1度抜いたはずの一団に抜き返されていた。

 呼吸を整えて小屋(営業開始前)のある針ノ木峠に立つ。振り返ると雪渓はやはり急で朝夕の下りはちょっと怖いかもしれない。一団だった行列もかなりバラけていた。前方には岩小屋岳の右に鹿島槍が覗いており写真に収める。妻が着くまで少しかかりそうなので小屋の建っている峠の南側へテントサイトを物色に行く。針ノ木小屋の南側はすっかり雪がなくなっており展望抜群のベンチは大人気だった。妻もようやく登ってきて、小屋脇のスペースにテントを設営する。

針ノ木峠からの展望
雪渓上部から振り返ると
岩小屋沢岳と爺ヶ岳の間に鹿島槍が覗いている
 針ノ木峠南側 北葛岳と七倉岳
七倉岳〜船窪岳の奥に穂高槍
                        
遠景は八ヶ岳・富士山・南アルプス  左端奥:大天井岳、前穂高岳・奥穂高岳・槍ヶ岳
手前左は七倉岳
 (4)針ノ木峠
 針ノ木峠は確か日本で二番目の高所にあり(2541m)、アルペンルートを利用した人なら耳たこの「佐々成政のザラ越え」で信州に抜ける際通過したといわれている。

 ウェストンが佐々成政の逸話について知っていたかは定かでないが、前述のとおり同ルートを往復したとき2度訪れていて(1893年8月,1914年8月)、「日本の高山地帯にある峠のうち、あらゆる意味で、他の峠よりはるかに素晴らしい峠(「日本アルプス再訪(平凡社ライブラリー水野勉訳)」)」と評している。

然程広くない峠は南北が開けており、南側は峠からの展望としては他に類を見ないほどだった。遠くには八ヶ岳〜富士山〜南アルプス北部、その右には北アルプス南部中部の山々が弧を描くようにずらりと並び、眼前の船窪岳・七倉岳まで連なって迫ってくる。特に船窪岳の先に見える槍穂高が印象的だった。

ちなみに、ウェストンは1893年8月7日8時に大町を発ち、途中人夫の協力がなかなか得られなかったり籠川へ下りてから雷雨に阻まれたりして、その日は牛小屋(岩小舎)でビバーク(15時)。翌朝7時出発し、「ノド」辺りから針ノ木雪渓を登って9時には峠の頂上に立っている。

著作の「日本アルプス登山と探検(平凡社ライブラリー岡村精一訳)」ではこのときの様子が以下のように記されている。

 ------------------------------------------------------
翌朝7時になってやっと野営を後にし、氷河の側堆石に全くよく似た奇妙な岩の山稜をのぼって、一番低い雪渓の基部にやって来た。これが籠川の野性的な激流の水源地をなしていた。高さ1800mのこの地点で、雄大な涸れ谷は一番狭くなり、ここから山稜の天辺まで、所々岩で途切れているが、雪渓の連続になって高まっており、そうした岩の割れ目には二、三の植物が姿を現していた。

ある場所で、おもいがけなくもおいしい野苺のご馳走が目についた。表面のなめらかかなこの雪渓の角度は、ほとんど38度に切り立っていたので、人夫たちはとてものぼれないと強く主張した。彼らのはいている草鞋はほとんど足場の支えにはならなかったので、彼らはこれをのぼるのをきっぱり拒んで、峡谷の側面の険しい岩にもう一度取りついた。しかしながら、私の取った道はもっと冒険的なことが分かった。私は午前9時には、信州と越中の国境と針ノ木峠頂上を示す木の柱のそばの尾根の窪みに立っていた。
朝食のことを話し合ったり、高さやまわりの様子を観測したりしているうちに、1時間はみるみるうちに過ぎてしまった。この峠の高さは2436mであるが、遠景は近くにそそり立つ絶壁でずいぶん遮られている。もっとも南の方に当って、針のような姿の槍ヶ岳が堂々とそびえており、それから、南東には、160km彼方に、相変わらず視野に映る富士山の載頭円錐形の山頂が八ヶ岳と信州駒ケ岳(甲州駒ケ岳か(訳者))の鋭鋒のあいだに、割り込んでそびえている。前景には、北に当たって登ってきた暗い峡谷が見おろされる。その峡谷には塔のようにそびえ立つ絶壁の蔭になっている雪がきらきらと拡がっていて、その傷ついた雪の側面には、恐ろしい力の雪崩や嵐の跡をそこにもここにも見せている。南のほうにはこれからおりなければならない谷間が傾斜している。その手近の斜面は、おもに赤楊(ふり仮名はんのき・ハリノキ)と五葉松の低く這った枝で覆われていた。この赤楊があるのでこの峠は針ノ木と呼ばれているのである。
 
------------------------------------------------------ 
 
その2へ
その3へ
 雪山ハイク ウェストンの足跡を訪ねて 
 山の手帳  山の手帳別冊

inserted by FC2 system