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【はじめに】
GWの後半は上松Aコースから木曽駒ヶ岳へ行きました。
中央アルプス北端にありその最高峰である木曽駒には過去3度登ったことがあるもののいずれもお手軽な千畳敷(伊那側)から。
上松Aコースは、木曽側からの駒ヶ岳登山道として古くから開かれており、ウェストンも登路として利用したことが知られています。アルプス山荘のある登山口(2合目)から単純標高差で1900m程あり、千畳敷ロープウェイに慣れた私たちがこの時期行くのはちょっと辛いかなと思ってはいました。
ただ、主目的は「ウェストンの足跡」のトレースですが、ロープウェイ利用では把握しづらい木曽駒の全体像や大きさを肌で感じてみたいと思い、敢えて残雪期に幕営装備で挑戦してみることにしました。
ちなみに、ウェストンは無雪期とはいえ(1891年8月12日)上松Aコースから駒ヶ岳登頂後、「権現づるね」コースを伊那部宿(伊那市)へ下る「駒ヶ岳横断」を1日で成し遂げています(全行程12時間)。
当時はどちらもメインルートだったようですが、標高差は登り下りとも約2200m。100年以上前のことだし、登りと下りが別ルートであることを勘案すると、今の黒戸尾根日帰り往復などより困難だったことでしょう。改めてそのチャレンジ精神と健脚ぶりには脱帽です。 |
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【山行記録】
0.アプローチ
GWも後半、前日の丹沢(沢登り)から1日挟んで雪山へ出かけるのは頭の切り替えが必要で思ったより大変、夕方には(5/3)出かけるつもりが準備に手間取り20時過ぎの出発となった。中央道を伊那ICで降り権兵衛街道(361号)・19号を経て上松へ。
「寝覚ノ床」の交差点で左折、T字路を右折し(県道266号)、案内表示(駒ヶ岳登山口)のある二又を左に進む。あとはほぼ道なりに進むと林道となりアルプス山荘はすぐだった。なお、「寝覚ノ床」の交差点から左に入る道は車1台がやっとの生活道路、19号の下り口(「交差点」より少し木曽福島寄り)が分かれば、そこから県道に直接入った方がよい。また、県道266号(細い)から登山口へ至る二又も表示が分かりにくかった。
アルプス山荘の前の駐車場には数台の車が止まっており、知らずに空いたスペースに駐車させてもらったが(車中仮眠)、公共駐車場は林道をさらに50mほど登ったところにあった。 |
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5/4 曇りのち晴れ
1.二合目登山口〜金懸小屋(五合目)
(1)敬神ノ滝山荘(二合半)まで
翌朝、上松Aコース登山口(二合目)の確認に出かける。公共駐車場(10数台?)にはGWというのに1台も車がなく、その前(霊場)の登山口は道標にガムテープが貼ってあって表示を隠してある。さらに、先は工事中のようでゲートが塞いでおり、「発破作業中」等物騒な表示もあって(GW中は休み)愕然とする。
「登山口で敗退?石尊稜から3連敗かよ・・・」不吉な予感。
アルプス山荘へ状況を聞きに行ったところ、二合目登山口〜二合目半(敬神ノ滝山荘)まで登山道は通行不能だが、滑川砂防公園(2km先)から迂回路があると聞きほっとする。ただ、これが分かり難いとのことで、「砂防工事用道路を利用する別のコース」を教えてもらった(平日等工事中は通れないと思われるのでアルプス山荘で要確認)。
早速登山ポストに計画書を出して出発。登山口(1070m)は空身のときは冬用アンダーウェアー1枚ではちょっと肌寒かったが、ザックを背負って歩き始めるとすぐに汗が出てくる。
敬神ノ滝までは、ゲート脇から入り堰堤を渡って、しばらくは滑川沿いの作業道を歩く。やがてT字路にぶつかり林道を右へ進む。風越山登山口の道標を過ぎるとベンチのある小屋はすぐだった(敬神ノ滝山荘)。小屋の前には狭いが駐車スペースがあり(数台止まっていた)二合目の前の林道を走ればここまで車で入ることもできるようだ。
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道標にはテープが |
工事ゲートの中に入る |
工事現場の中を通り堰堤を渡る |
滑川沿いの作業道を歩く |
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T字路 |
小屋はもうすぐ |
敬神ノ滝山荘の奥から登山道となる |
登り始め |
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(2)二合半〜金懸小屋(五合目)
小さな沢を渡り、小屋祠の近くから九十九折の道を登る。檜に覆われ暗い感じ、苔むした岩もごろごろしていて少し歩きにくかった。三合目(道標あり・標高1270m)で小休止、その先も時折倒木もあるジグザグ登りが続く。
四合目からは笹と広葉樹の多い明るい尾根歩きとなる。段差もなく快適なハイキングコースといった感じ。
木々の間から金懸岩が覗くようになると道は上松尾根を外れ、沢形をトラバースする。渡った先の支尾根上の小平地が金懸小屋のある五合目(1914m)だった。
金懸小屋は無人ながら屋根裏部屋(ロフト)つきの小奇麗なもので15人くらい(?)は泊まれそう。もう少し上にあれば(500mくらい)、利用価値はずっと高いのだが管理上仕方がないのかもしれない。
なお、三合目より半合ごとに道標があり金懸小屋(五合目)までは一合あたり約300m(登り50分前後下り30分)の設定、コースタイムの管理には有難かった。
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2.金懸小屋(五合目)〜幕営地(八合目先のピーク)
(1)五合目〜遠見場(七合目手前)
小屋から僅かに下って沢形のトラバース、途中に「金剛水」と呼ばれる水場(ホースと雨どいの簡易給水設備)がある。小屋からほんの数分の所で泊まるときは重宝しそうだが、流量が少なく全面的に当てにするのはちょっと危険。
「胸突き八丁」から元の上松尾根へ登り返す。登山道がよく整備されているせいか、大して急でもなく険しいという印象もなかった。
五合半の少し手前から漸く残雪を見る、日陰で凍っている箇所が多くスリップに注意して歩いた。
樹林の中の小ピーク(2074m峰)を下った先(鞍部)が「らくだの背」、僅かに登り返し六合目で小休止。気温が高いせいか喉が渇く、水が足りるかちょっと心配になった(2人で2・5L持参)。
明るい樹林の登りとなり時折三ノ沢岳が覗くようになる。六合半では下山してきた単独登山者(山行中会った唯一の登山者)がアイゼンを外していた。挨拶を交わして雪の情報を得る。
徐々に残雪が増え頭上が開けた場所に出る。「遠見場」の道標があり小さな祠と石仏が祀ってあった。シラビソが多くその切れ間から右手に三ノ沢岳が覗いてはいるが、ちょっと名前負けの感じ。
「遠見場」についてはウェストンの「日本アルプス・登山と探検」に記述があり、同じ場所であれば当時とは様子が変わっているようだ。なお、ガイドマップ(昭文社の山と高原地図40木曽駒・空木岳)の解説では八合目小屋跡も「遠見場」とされている。
--日本アルプス・登山と探検(ウェストン著・岡村精一訳)から引用--
駒ヶ岳の高さ2400mの南の尾根に達し、遠見場(エンケンバ)という開けた場所に出た時、飛騨山脈の南部の巨峰のみならずみごとなパノラマが開けた一方、上松近くの寝覚めの床は、1500m以上も下の木曾川の川床のなかにはっきり見えた。
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(左)水場 (中左)五合半〜六合半は日陰に僅かに残雪がある程度 (中右及び右)遠見場:南は三ノ沢岳が見えるが北は展望が良くなかった |
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(2)遠見場(七合目手前)〜幕営地(八合目先のピーク)
再び樹林の中に入りしばらく緩い登りが続く、やがて大岩(天の岩戸か?)が現れその基部を巻登る。ここは堅雪の急斜面となっており、結構な荷物なのでアイゼンを履くことにした。
七合目を過ぎると本格的に雪道歩きとなる。トレースはあるが連休でも入山者は多くなかったらしくいまひとつ判然としない。木々は次第に疎らになり時折左手(北)に麦草岳〜牙岩の荒々しい岩稜が望めるようになる。日差しは初夏のようで、ちょっと暑かったが日焼け防止のフェイスマスクを着用した。
やがて尾根上は潅木が多くなり、両側とも開けた広場のようなピーク(以後「展望地」と呼ぶ)に出た。目の前にはどっしりとした雪の三ノ沢岳が、背後に麦草岳の岩峰が覗いている。写真を撮ったついでに小休止とする。 |
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(左)天ノ岩戸の手前からアイゼンを履いた (中左)七合目の先は明るい樹林の登りとなる
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(中右)近そうに見えてここから森林限界が遠く感じた (右)頭上が開けたピーク(展望地)この先再び樹林の中に入る |
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展望地からトレイルは一旦急な北側山腹をトラバース気味に斜上するようについていた。ごく短い距離で記憶に残らなかったため翌日のルートミスの原因となった(後述)。
再び尾根上を歩く。木々は疎らで八合目(森林限界)は遠くないはずだが意外に時間がかかった。気温が上がって腐った深雪の登りとなったからだ(木の近くを通ると、踏み抜いて時には股下まで潜って脱出に苦労)。 |
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(左)三ノ沢岳(展望地より) (中)展望地で小休止 |
(右)展望地からは藪を避け北側山腹を斜上して尾根に戻る箇所があった。下山時ここの通過を記憶していなかったことがルートミスの原因となった |
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いつの間にか森林限界を越え展望が開けた雪稜歩きとなる。雪が多く八合目(もうひとつの遠見場)の正確な位置が分からなかったのは残念。
位置確認と適当な幕営地を探して広い雪稜を歩いてみる。一見なにもない所で深雪に足を取られることがあった。大抵は下に石碑が埋もれており、このコースが信仰登山の対象として利用されていたことが窺われる。展望の良い小ピークまで登ると、ちょっとだけ頭を出した不動明王を見つけることができた。ガイドマップの解説に記述のあったもののようだ、八合目の少し上だということは間違なさそう。南側の一段下は風も凌げそうなので今日のテン場とすることにした。
なお、この季節はいつもそうだが、展望が良いのは近くだけ(前岳・麦草岳・三ノ沢岳等)、遠くの山は霞んでいてさっぱりだった。 |
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(左)北側山腹を斜上し再び尾根に出た辺り。すぐ下は尾根が二股となり下山時迷った (中左)漸く森林限界を越える
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(中右)幕営地付近 (右)雪稜上にあった不動明王像。この一段下にテントを設営した |
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木曽駒ヶ岳(広義)の山々 |
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木曽前岳(左奥)・駒ヶ岳本岳(中奥)・中岳(右奥) |
中岳(左)と宝剣岳(右) |
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ちょっと気になる山々 |
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麦草岳 |
三ノ沢岳 |
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