ちょいバリ2014年 
その1 その2 その3 その4
大同心
正面壁
雲稜ルート
剱岳
チンネ
左稜線
奥穂
ジャンダルム
飛騨尾根
T2から
奥穂
ジャンダルム
飛騨尾根
山の手帳  ちょっとバリエーション
剱岳チンネ左稜線
無雪期バリエーション初中級(マルチピッチクライミング)4級下・X

(北アルプス北西部・2014年9
月上旬・2泊3日)
 その1 その2   その3
 その4 その5   その6
 その7 その8    その9
 0.はじめに 
剱岳東面(2000年5月鹿島槍より)→拡大画像 
チンネ(zinne)とは、『大きな岩壁を持つ尖峰』のこと(goo辞書国語辞典)。日本では、剱岳北方稜線、三ノ窓のコルの東に展開する高差約300mの岩峰のことを指します。それは、この岩峰の初登者(*)が、「チンネ」と命名し、固有名詞として定着したからだそうです。
その左稜線は、チンネ最長ながら、フェースとリッジがミックスした比較的容易なルートで(ルートグレード4級下・最高ピッチグレードX)、人気があります。
このルート、monchanは13年前にクライミングスクールの講習で行ったことがあるのですが、参加できなかったkniferidgeはずっと悔しい思いをしていました。
ただ、アプローチは長いし、いまだに高所恐怖症のkniferidgeには傾斜の強い本ルートは敷居が高く、中々行ける自信が持てませんでした。
そこで、短いけれど、技術的にはより困難な大同心雲稜ルートで目を慣らし、今季、無雪期クライミングの目玉としてトライしてみることにしました。
ところが、「梅雨明け10日」を狙った先月は、不安定な天気のため、長次郎谷右俣の偵察のみで終了。9月は穴毛谷のつもりでしたが、幕営等夏装備で臨める最後のチャンスなので、予定を変更して再挑戦することにしました。
今回は、3日の日程、日も短くなっており、真砂平ベースは止めて、室堂入山、熊ノ岩ベースという禁じ手を使うことにしました(熊ノ岩は昔から原則幕営禁止)。
(*)チンネの初登は、1927年8月、旧制三高の西堀栄三郎、今西錦司、高橋健治の三氏により、現在の左方ルンゼからなされた。なお、左稜線の初登については、異説もあるが、日本のクラシックルート(山と渓谷社編・1997年)』によると、1930年8月の山埜三郎氏による上半部(中央バンドより上)登攀が最初、末端からの完登は1934年7月笈田正雄、北条理一、両氏によりなされた。
メンバー夫婦2人
日程:9/7(日)〜9(火)6日夜発2泊3日(熊ノ岩幕営)
 9/7(日)  入山(室堂)+アプローチ1(室堂〜熊ノ岩)
 9/8(月)  アプローチ2(熊ノ岩〜取付)+チンネ左稜線登攀+熊ノ岩戻り
 9/9(火)  下山(熊ノ岩〜室堂)
 9/7(日)
 1.アクセス及びアプローチ1(熊ノ岩BCまで) 
(0)室堂まで
9/6(土)夜出発、扇沢市営駐車場には翌日未明に到着した。一番下の無料駐車場は4割位の空き、やはり、この時期は、日帰りのハイカー・観光客の割合が高いようだ。
高速を走っているときから降り出した雨は、次第に強くなり、少し肌寒く感じた。スリーシーズンシュラフを出して、4時間ほど車中仮眠。
雨は、明るくなっても止まず、雨具・ザックカバーを付けて扇沢駅へ向かう。これから回復するという予報を信じ、始発のトロリーバスに乗り込む。
室堂に着くと、雨は上がっていてホッとする。この週末は、ICIスポーツ主催のイベントに当たり、室堂はいくつものグループに分かれたハイカーでごった返し、「雷鳥平」にある「雷鳥沢キャンプ場」にもテント村が出来ていた。
ところで、このキャンプ場、なぜ、「雷鳥沢キャンプ場」というのかずっと疑問に思っていた。ガイドマップにはキャンプ場付近は「雷鳥平」となっているが、その地名はあまり使われていないように思う。20年以上前のことだが、山で会ったベテラン風の人に「雷鳥沢キャンプ場」のことを「雷鳥平」と言ったら、「雷鳥平という地名はない。それは雷鳥沢だ」と指摘された。それで、しばらくは、雷鳥平が面している沢が雷鳥沢と思っていた。ところが、地図を見ると、雷鳥沢は別山乗越を源頭とする涸れ沢のこと。雷鳥平の下を流れるのは称名川で、雷鳥沢は称名川とその右岸で合流し、当該出合はキャンプ場のある「雷鳥平」の対岸に当たることが分かった。
すなわち、雷鳥沢出合の対岸にある台地だから「雷鳥平」と呼び、そこにあるからキャンプ場が「雷鳥沢」を冠していると思われるのだ。確かに、出合なら場所の特定ができるから、出合う沢の名称を対岸の地名に使用するということもありそうな話である。
そこで、他に例はないかと探してみると、1月前に行った真砂沢ロッジもこのルールに当てはまった。真砂沢ロッジは、剣沢が右岸で真砂沢と出合う場所(真砂沢出合)の対岸にある。この剣沢左岸の小平地は、古い文献には「真砂平」と記述されており、「真砂平」にある小屋が、「真砂沢ロッジ」と命名されているからである。
以上は、単なる推論に過ぎないが、意外に的を射ているのかもしれない。
 室堂  雷鳥沢キャンプ場
 
(1)室堂〜別山平(剣沢三田平)〜長次郎谷出合
称名川を対岸へ渡り、雷鳥沢左岸沿いの道を登る。同年輩の単独女性と抜きつ抜かれつしながら、一段上の右の尾根に上がる。日曜とあって、その頃から頻繁に下山者とすれ違うようになった。
称名川を右岸へ渡る(左画像)。対岸で出合う雷鳥沢沿いを暫く登り、途中から雷鳥沢左岸尾根を歩いた(右画像)。
別山乗越までもう一登りというところでmonchanがペースダウン、休憩した際に件の単独者にパスしてもらった。
それにしても、最近はヘルメット持参の人が多くなった。パッと見、半数弱はいそうである。バリエーションルートへ行く人がこんなにいるわけがなく、昨年の穂高同様、岩稜歩きのあるところは一般ルートでもヘルメット着用が浸透してきているようだ。
室堂から2時間強で剣御前小屋(別山乗越)。一瞬剱岳が姿を見せたが、カメラを構えるころにはガスで真っ白になった。
剣御前小屋の裏手からトラバース道を別山平へ向かう。
別山乗越 別山直下のトラバース道を別山平へ向かう 
 
別山平 剣沢小屋(別山平)
「別山平」は、別山と別山尾根に挟まれた台地の地名で、剣沢キャンプ場もその中にあると思っていたら、最近のガイドブックやネット記録等では、ほとんどこの名称を見かけない。昭文社のガイドマップでは「三田平」となっているが、こちらもあまり使われていないようだ。
剣沢キャンプ場付近(別山平)の呼称として最もポピュラーなのは「剣沢」で、別山平は剣沢の源頭に当たる。確かに、沢の源頭部にその沢の名称が用いられることがあり、穂高の「涸沢」もその一例。ただ、沢としての涸沢は横尾本谷の枝沢で登山道も右岸の少し離れたところを通っており、「涸沢」といえば、ほとんどの人が源頭部のカールのことを思い浮かべるから問題はない。
これに対し、「剣沢」の場合には、沢上流部が代表的な雪渓ルートで、真砂平や仙人池・池の平方面へ向かう多くの人が利用する。単に「剣沢」と言っても、別山平のことなのか、沢を指しているのか分からない場合があり、キャンプ場周辺の地名としては、「別山平」の方が適切と考えるのは私だけだろうか(慶応出身の人なら「三田平」を支持しそうだけれど)。
閑話休題
剣沢小屋(別山平)は日曜の昼とあって、閑散としていた。室堂からここまで休憩込で2時間58分、手帳を見ると八ッ峰へ行ったとき(2008年9月)とほぼ同じ。今の私たちは、幕営・登攀装備(Kn18kg、Mon14kg)だと室堂から別山平まで3時間かかるということか。因みに、2014年版昭文社のガイドマップでは室堂〜剣沢幕営地が3時間25分となっていた。
一時ガスが切れ、ようやく剱岳が姿を現すも、別山平は、前剣が目立って、ここからの本峰は今一つ。
体力温存のため各1Lしか水を持たなかったが、長次郎谷の辛い登り返しに備え、小屋でポカリスエットを1Lずつ購入した。
別山平で剱岳が姿を現した 剣沢右岸沿いの登山道をしばらく下る 
長次郎谷出合まで剣沢を下る。雪のない源頭部は右岸沿いの道を歩き、武蔵谷出合から雪渓に下りる(右岸の高巻道もある)。傾斜は緩いが、重荷なので、はじめからクランポンを装着した。平蔵谷出合〜長次郎谷出合には右岸側が後退してラントクルフトがあったが、この時期にしては、概ね雪渓状態は良く、安心して歩けた。
武蔵谷出合から雪渓歩きとなる。雪渓へ取付くポイントは左画像の小滝の下で、右画像のペンキ印があるところが安定していた。
 
平蔵谷出合(右の雪渓が平蔵谷)
 
剱岳チンネ左稜線(北アルプス北西部・2014年9月上旬・2泊3日)  
 その1 その2   その3
 その4 その5   その6
 その7 その8    その9
 
 
ちょっとバリエーション(一般難ルート〜本チャン入門の記録)  
 ちょいバリ2014年  ちょいバリ2013年 ちょいバリ2012年 
 
山行メモ(練習山行・ハイキングの覚書)  
 山行メモ2014  山行メモ2013  山行メモ2012
 
山の手帳  ちょっとバリエーション

inserted by FC2 system